退職届を出した。会社員とは一体なんだったのか

ということで退職届を出してきました。

丸の内OM(オフィスレディならるオフィスマン)ももうすぐ卒業です。

 

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企業勤めも長いことやってしまったけど、今のうちにメリットデメリットを書き残しておこうと思います。結論、会社員というのは生きる選択肢の一つであって、それがよしとする社会的価値観を盲信してはいけないと思っています。

 

メリット:

 

1-会社員(正社員)という社会ポジション。

 

日本は特に皆が正社員の会社員であるということを前提に社会が組み立てられていて、正社員である瞬間に年金も保険も自動的に支払われるし、交通費は出るわローンは組めるわ仕事できなくても首は切られないわで、生きるための条件が一気に整う。

 

2-仕事を教えてもらえる。

 

日本は出る杭は打たれるし、天才は生きにくいというけれど、実は凹んでる杭は、謙虚にしてれば結構周りが助けてくれる。「社会は厳しいぞ!」と脅かすおじさんはいるけれど、実はそんなに厳しくないし、意外と優しい人が多い。

 

3-多様な人との自然な出会いがある

 

会社員をやっていると、強制的に社内、社外の人と関わる機会があり、視野が広がる。(一方、何もアクションを起こしていないと1年もすれば結局似た環境の人達に付き合いが限定され、そこから世界が広がらなくなるので、一概に世界が広がるとは言えない)

 

4-安定収入

 

色々デメリットはあるとはいえ、よく年間数百万確実に払って、よほどのことがないかぎり解雇をしないという契約を、ただの人相手にするなと思う。雇われる側が「このようなサービスを提供します」ということを、明確に書いていないにも関わらずだ。正直、これは本当に助かる。ただの人でも、なんとなく生活が保障される。

 

5-職歴が増えていく

 

職務経歴書とか履歴書というものは、なんとなく会社員の期間がたくさんあると信用に繋がるものなので、例えどんなに給与が低くて社会的に意味がない仕事をしていたとしても、「長い職歴がある」というだけでなんとなく次の仕事には事欠かなかったりする。

 

6-社会的常識、能力が身につく

 

社会的常識が身につく…といっても日本の会社員として通用する特殊な社会常識が身につくだけ。メールの最初に「お疲れ様です」とか「お世話になっております」とつけるとか、名刺の交換の仕方とか客先ではコートを脱ぐとか、席の上座はどこかとか。

 

ただし偉くなるほど飲みの場でセクハラが増えたりする人もいるので、一概に会社員経験が長ければ常識が備わるというわけでもない。挨拶をあまりしない人だってどこにでもいる。

 

社会的能力が身につく…といっても、履歴書を書いて面接をする、客先と電話する、経費の精算、 年末調整のやり方が身につくだけで、仕事内容によっては請求書とか領収書みたいなものの書き方もわからない人もいるし、もうちょっと広い意味での社会的能力(確定申告、会社を設立、裁判所の手続とか)のやり方を知らない人はたくさんいる。

 

ほとんどの人は保険とか年金がいくら源泉徴収されてて、それでいくらもらえるのかわかっていない。会社の言うことはイエス or ハイで答えて、国が取っていくものは何の疑問も持たずに払い続ける。これでも一応立派な社会人としては成り立つらしい。

 

デメリット:

 

1-自由が結構奪われる。

 

  いざというときに休暇が取れない

 

今本当に感じているのがこれ。今回の3-5月の旅のように、基本共働きの夫婦で3か月の長期旅行するという機会を逃したら、タイミング的に次できるのはいつかわからない(ひょっとしたら生涯不可能かもしれない)から一大決心して行こうと思ってるのに、 「病気以外で3ヶ月も休む休職制度はありません」の一言でアウト。

 

よく企業研修で出てくる「価値観(Value)」ということについて、さすがに今回は真剣に考えた。一般制度的(休暇は有給を使って取ること)にも長期休暇は不可能とはいえ、この会社は「自分か家族が病気になるか、自分が妊娠するか以外に人生にとって重大なことはなし」という価値観を持つシステムで皆が働いている。

 

一応擁護しておくが、うちは結構ホワイトなほうで、決してブラック企業ではない(有給は取れるし産休や育休制度もある)。しかし、会社員となったからには、人生の重大なことは病気だけと思ってください、という価値観は賛同しかねる。なぜネガティブなことだけのことが重大なのか。ポジティブな重大なことはないのか。

(なんとも薄ら寒い気分だが、考えてみれば産休というのが認められていなかった時代は女性は妊娠したら「制度がないです」と言われて強制退職だったのだろう。というか今でもそうゆうところは多いのかもしれない)

 

人生は色んなことがあり、「ここぞ」というときにチャンスを掴みにいかないと永遠にまた機会は訪れないことがたくさんある。それを「正社員だから」と言って会社が自由を奪っていいもので、それを「正社員だから。社会人だから」と受け入れていいのだろうか。ようは、それって本当に幸せなわけ?と言いたいのである。

 

  副業が禁止されている

 

考えてみれば、他人が自分自身で収入を得る機会、能力を契約書によって奪うのってすごいことだ。僕も大した金額ではないが、たまに音楽でお金が入ってくることがある。

 

しかし、それすらもなにか人に言ってはいけないような、後ろめたい雰囲気が会社というものにはあるというのはおかしい。

 

「あなたの全能力はすべて会社のために使って、何か多様な能力や才能があって、それが会社の業務に関係あるなしに関わらず、会社外では使わないでくださいね」と言っているのと同じだ。

 

 時間、場所が制限される 

 

 フレックス制、自宅勤務が広がりつつあるとはいえ、就業規則というのには大体「9時半から18時半まで」等と書いてあるため、なんとなく満員電車に乗る毎日が訪れてしまう。そして苦労して職場についたと思ったら、下手をすれば小さい会議室でパソコン画面を見ながら日が落ちるまで仕事している(さらに下手をすれば窓のない部屋で仕事をするため、まともに太陽を見るのは家から駅に行くまでの10分くらいということもある)。

 

 これ、一生物としてどうなんだろうと思う。窓のないところで長期的に仕事をするときは、せめてもと思って植木鉢の花をフラワーショップで買ってきて持ち込むのだが、みるみるうちに弱っていく。これを見て、この常識は疑ったほうがいいなと感じた。

 

 仮眠を取りにくい

 

 普通に苦痛。5分寝るだけでも全然違うのに、なんとなくそれができない空気があることがある。会社員の皆はわかると思うけど、午後のトイレってどこも閉まっていて、しかもドアがなかなか開かないよね?小さい規模だけど、これって社会の闇だと思ってる。

 

 2-自分が主役じゃない

 

自分が主役じゃないと、仕事の話が来るのは常に上司、客に感謝されるのも常に上司。新しい話が舞い込んできて、それを取るか取らないかの決定権を常に他人が握っている人生でいいのかという疑問がある。

 

コンサルティングの世界に、「椅子職人の悲劇」という用語がある。

 

最初は好きだから、楽しいからと椅子を作っていたある職人が、事業が拡大し、チームの規模が大きくなり、効率化・分業化が進むほど役割が細分化されていき、やがて椅子の足だけ作る毎日になり、やりがい、やる気が失われていくという理論だ。

 

だから過度な効率化・分業化はやめたほうがいいという考え方に繋がっていくのだが、確かに、同じ仕事をしていても、自分が主役の仕事と、大きいチームの末端の仕事をしているのではやりがいが全然違う。大きなチームでやる大きな仕事よりも、規模が小さくても自分で最初から最後までやった仕事のほうが、なんというか充実感がある。

 

思えばこれまでの人生、「今まで何やってきたか」と聞かれた時に胸を張って答えられることは、規模の大小に関わらず、自分で考えて実行し、成功、失敗に関わらず最後までやったことばかりだった。「こうゆう大きな会社で椅子の足を作ってました」では、言うほうもなんとなく歯切れが悪いし、聞くほうも反応に困る。

 

結論

 

会社員は生きるためのメリットは大きいが、大きな自由を明け渡しており、人生の豊かさという視点で考えた時、必ずしも最善とは言えない。あくまでも多様な選択肢の一つと考え、「正社員は立派」という一般的な価値観に捕らわれないで、必要とあれば別の生き方を選択しても問題はない。この雇用流動性の高い世の中、また必要あれば会社員、正社員に戻ってもいいのだ。

 

 

 

 読み飛ばし推奨。その他のデメリット

 

 高層ビルのオフィスに勤めてるとエレベーターが本当に来ない。これだけで昼休みが15分くらい削られることもある。確かに眺めはいいけれど、ビルは高ければいいってもんじゃない。正直雑居ビルの2階くらいが一番いい。「人は土から離れては生きられないのよ」というシータの言葉がよくわかった。